2009/02/25

走る幸せ

先週末は大分に親孝行旅行(あまり孝行はしなかったが)、今週末は北海道へ流氷を見に行く予定なので、レース直前のこの大事な時期だというのに週末はまったく走り込めていない。
なので、今日はノー残業デーということもあり、少し早く帰宅できたので、平日のわりには少し腰を据えて走ってきた。
距離にして16kmあまり、時間にして1時間45分程度だったが、結果から言って満足度は高かった。


この時期のわりに、今夜は気温も高かった。日中は雨模様だったものの夜になれば雨風ともになく、とても快適に走れた。

ペースは気楽に走れるLSDペース。1キロあたり7分が目安だったが、今日の感触からすると6分半くらいが自分のLSDペースになってきたようだ。

追い込むペースでないジョギングは、とても気楽だ。
走ることの楽しさを人に伝えることは難しい。結局は走った経験や実感のなかでしか感じることができないものがあり、またそれを実感できるまでに必要な距離やペースや回数に個人差があるようで、要するに運動が嫌いな人に走る楽しさはどれだけ言葉を尽くしても伝えられないし、また運動は好きでもただ走るだけというものが退屈にしか感じられない人にも伝えることは難しい、という面がある。また、運動不足からか走ると足が痛くなってしまうという人も多いだろう。そういう人は走ることに楽しみが見出せるわけがないから、当然伝わるわけもない。

だから、この「気楽だ」というのも説明するのがとても難しい。
状況としては、追い込まないので息切れがしない、無理がないペースなので足も辛くない、さらに夜なので目に入ってくる情報量が少なく、意識しなくても自分の世界に入っていける。自分の世界といっても特に考え事をするわけではなく、実際ほとんど何も考えていない。何も考えず、ただ体を動かし続ける、それだけが、とても自由に思えて、また苦しさを伴わないためどこまででも走っていけそうな錯覚も伴い、ちょっとハイな気分になる。

シューズを履いて走り出すまでは毎回辛い。走り出す理由の10倍くらい止めるための言い訳がいつも思いつく。
しかしひとたび走り出せば、そういったものが吹き飛ぶから不思議だ。
これは、本当に、説明できない。

ともあれ、今日の自分はこの1時間45分、とても幸せだった。暗いことをいいことにニコニコしながら走っていた。明るいところでこれをやると、ひとつ間違えれば警察に通報されかねない。暖かい時期になってきたわけだし、そういう向きが多くなりがちな季節が到来しており・・・。
あー、気持ちよかった。

写真はまったく無関係ですが、月刊ランナーズです。今年から年間モデルになったようで、毎回この女性です。とても可愛らしいので、1月号だったか2月号だったか、ジャケ買いしてしまいました。
走るのは孤独な作業で、また一人で走ることで十分楽しいから寂しくもないんだけど、こういう女の子と走ったらまた別の楽しさがあるんだろうな、と思う。つか、単純に可愛い。惚れる。

2009/02/19

遠方より友来る

亦楽しからずや。

(論語だったことを思い出せず、検索エンジンのお世話になった)

長野の泰阜村から大学の同級生が泊まりに来た。
一応、仕事ということで上京したらしい。
まったく知らなかったけど、お互いに最近フィルムカメラにはまっていて、彼はマクロ命のミノルタ派だった。
なし崩し的PENTAX派の俺とは相容れないものがあるが、道は違えど同じフィールド、カメラやレンズの話で盛り上がったりした。
彼はオートフォーカスだったけど、俺はマニュアルフォーカス。オートもいいなあと思った。
ピントを合わせるのが苦手なので。目が悪いといいことないね。

デジカメは確かに便利だけど、写真はやはりフィルムでないと、と思う。
理由はうまく説明できないが。
現像からあがってくるまで結果が見えないのがいいんだろうな。そういう趣旨の記事を今日読んだ。


2009/02/16

猫と女の子

元ネタは百式で拾いました。



やばい、この女の子、可愛い。可愛すぎる。
映像は猫なんですが、猫の写真に勝手にキャプションを付けてます。
笑えます。


2009/02/12

フィルムカメラ

先日、PC(ハードディスク)を壊して以来、やはり写真はデータでなくて紙で残さなきゃだめなんだという思いが確信に変わっていった。
本当にそういう議論もあったらしい。昨今では写真がデータになってしまっているので、後世から今を振り返ったら写真が何もない時代になってしまうのではないか、という類の危惧があるらしい。
で、ずっと欲しかったカメラを先日またまたオークションで落札した。

PENTAX SuperA
















レンズは中古のSMC-A 1:4 35~70mmを購入して付けている。
50mm F1.4のレンズも中古で買おうかな・・・。
絞り/シャッターの両優先モードがあるので、初心者の僕にも使いやすい(?!)
デジタル一眼のk-mも使うけど、フィルムでも写真を撮っていこうと思う。

ちなみに、まだ使い方が分からないダイヤルが、カメラの左のほうにある。
露出調整らしいんだけど、どうすればいいんだろ?

とりあえず12枚撮りフィルムで試写中。早く現像に出して確認しなきゃ。


2009/02/07

12 GIGA Bites

いま、PC Watch のトップページを見てて思ったんだけど、
こんな広告が出てまして、


先日直したPC001(IBM ThinkPad 1161-264)のハードディスクの容量じゃんか。
メモリに全部入っちゃうじゃん。
(最近のPCはメモリをそういう風に使わないことは知ってますが)

ちょっともう、なんというか、脱力した次第です。


2009/02/05

PC目録001改

OS:win98SE ⇒ win2000へアップグレード ⇒ Puppy Linux搭載

もう使うこともないだろうと思っていたIBM ThinkPad 1161-264ですが、ふと思いついて、Linuxをインストールしてみることにしました。
Linuxのディストリビューションもいろいろな種類があるので、どれにするか迷ったのですが、最終的には軽いことで評判のよいpuppy Linuxにすることにしました。


このあたりのサイトを参考にして、ISOイメージをDL、再三のやり直しをしながらなんとかHDDへのインストールに成功しました。
CD-ROMからのブートでいいなら簡単なのですが、どうせならHDDに入れてみたいと思ったので、結構苦労しました。
RJ45(いわゆるLANコネクタ)が搭載されていないPCだったので、LAN用のPCMCIAカードを刺していたんですが、これをあっさり認識。
windowsだと対応ドライバをDLしてインスコして、となるのに。何もDLしないで認識するとは、puppy、なかなかやりおる。
で、インターネットが案外快適に動くことを確認して、とりあえず完了。ここまで3日くらいかかりました。
CDしか読めないドライブなのであわててCD-Rを買いに行ったり(だってDVDとBlu-Rayしかないんだもん)、なかなか慌しかったですが、こんな古いPCでもそれなりに使えるようになるから、Linuxもいいなあと思います。
ただし、動画はだめっぽいです。youtubeカクカクでした。
検索とかブログのエントリとか、軽めの作業なら何の不安もないのではないかと思います。

仕事について 01

最近ちょっと考えることがある。
青臭いなあと我ながら思うけど、「人にとって仕事とは何か、何のために人は仕事をするのか」。
考えられる回答として、「そりゃお金でしょ、結局は」とすぐに思い浮かぶ。
先日、本当にそうなのかな、と考えさせられることがあった。


Aという会社がありました。
そこではBというプロジェクトが走っていました。
A社自体が設立後まだ日が浅い会社なので、生え抜きのスタッフというものはいません。
Bプロに配属された人たちはいずれも中途採用というか、転職することでキャリアアップをしてきた人たち。
若い会社に特有の自由な空気のなかで、のびのびとBプロジェクトに取り組んでいました。

ある日、A社は同業者で業界最大手のZ社に買収されることになりました。
トップシークレットで話は進められていたので、Bプロジェクトの人たちはプレスリリースがなされるまでまったく知る由もありませんでした。
細かい経緯は省きますが、Z社に買収され子会社となるA社において、Bプロジェクトはその存在意義がなくなり、遠からず解散、つまりBプロにアサインされていた人たちは仕事がなくなってしまいます。
Bプロの皆さんががっかりしたのは言うまでもありません。

こんな話はよくあることで、A社も企業である以上、生き残るためにあらゆる選択肢の中からベストと思われるものを選択して、生き抜かなければなりません。
Bプロに配属されていた人たちも、当然そのことは理解しています。会社がつぶれたら元も子もない。
会社というものは、従業員に給与を支給して、その家族を養い、さらに取引を通じて社会とつながり、その役割を果たしていくものなので、あっさりと倒産や廃業をしてよいものではないのです。
(なぜ倒産してはいけないのか、については、いずれ気が向いたらエントリしてみたいと思います)
会社が生き残る可能性が高まるなら、今回のZ社による買収をありがたいものとして考える必要があります。
会社が生き残るなら、自分も生き残れるのだから。
しかしながら、Bプロの皆さんは言いようもないほどにがっかりするのです。
今風にカタカナをつかうと、モチベーションが維持できないのです。

別にやりたい仕事でなくても、嫌悪するほどのものでないかぎり、仕事は(人間もそうかもしれません)多少続ければそれなりの愛着が湧くものだと思います。
また、何らかの意義を感じ取れれば、よりいっそう誠実に仕事に打ち込もうとするのではないでしょうか。
お金だけのために仕事をしているのであれば、今回のケースでがっかりすることは絶対にないはずです。
仕事がなくなったので首になるという可能性は出てきますが・・・ただ、私の考える会社のあるべき姿としては、このようなケースで人の首切りは絶対にやってはならないことだし(上記の会社が倒産してはいけない理由に通じます、人を養わなければ企業ではないからです)、次の仕事は会社が見つけてくれるとして、安心していればいいはずなのです。

結局、人はお金のために仕事をしているかといえば、案外そうでもない、と言えるのではないでしょうか。


このテーマは以前からいつか纏めてみたいと思っていたものなので、シリーズ化していきたいと思っています。
まずはイントロダクションということで。


トレーニング習慣

久しぶりにPC以外のことについてのエントリ。

今週の鍋倉先生のコラム「楽しく走ってステップアップ講座」のテーマがサブ5、つまりフルマラソンを5時間以内に完走することについてだった。
自分は一応サブ5しているけど、歩かずに完走しているかというと、実は少し歩いていたりする。
本当の意味での完走はまだしていない。恥ずかしながら。

先生はコラムでサブ5するための条件を2つあげていて、そのうちのひとつが、
「週に3回程度のトレーニング習慣があるか」
とされている。
もうひとつは「20km以上の距離走の経験」としていて、こちらは余裕でクリアしているが、トレーニング習慣となると難しい。
ちょっと何かあるとサボってしまうから。
寒いとか、疲れているとか、雨だとか、明日早起きして走ろうとか(たいがい早起きできるわけがない)。
これは良くないと思い、実は先週末からはクセになるように走り続けている。先週金曜日以降、月曜日は休んだけど、それ以外は今日まで毎晩走り続けている。
これは、1月中旬から背筋回りに張りがでてしまって、2週間ほどほとんど走れなかったため、予定しているメニューが消化できていないというプレッシャーが主な理由である。
1月の月間走行目標は140kmほどだったけど、結局70km余りで1月は終わってしまった。
3月に向けて、あと来週の青梅も30kmと手ごわいので、そのあたりに向けて走りこみを開始したというのが本当のところかもしれない。

1週間で安心するという悪い癖がまだあるんだけど、ともあれ、今後も油断せず、また怪我せずに走り続けて「トレーニング習慣」という条件もクリアしたいと思う。