青臭いなあと我ながら思うけど、「人にとって仕事とは何か、何のために人は仕事をするのか」。
考えられる回答として、「そりゃお金でしょ、結局は」とすぐに思い浮かぶ。
先日、本当にそうなのかな、と考えさせられることがあった。
Aという会社がありました。
そこではBというプロジェクトが走っていました。
A社自体が設立後まだ日が浅い会社なので、生え抜きのスタッフというものはいません。
Bプロに配属された人たちはいずれも中途採用というか、転職することでキャリアアップをしてきた人たち。
若い会社に特有の自由な空気のなかで、のびのびとBプロジェクトに取り組んでいました。
ある日、A社は同業者で業界最大手のZ社に買収されることになりました。
トップシークレットで話は進められていたので、Bプロジェクトの人たちはプレスリリースがなされるまでまったく知る由もありませんでした。
細かい経緯は省きますが、Z社に買収され子会社となるA社において、Bプロジェクトはその存在意義がなくなり、遠からず解散、つまりBプロにアサインされていた人たちは仕事がなくなってしまいます。
Bプロの皆さんががっかりしたのは言うまでもありません。
こんな話はよくあることで、A社も企業である以上、生き残るためにあらゆる選択肢の中からベストと思われるものを選択して、生き抜かなければなりません。
Bプロに配属されていた人たちも、当然そのことは理解しています。会社がつぶれたら元も子もない。
会社というものは、従業員に給与を支給して、その家族を養い、さらに取引を通じて社会とつながり、その役割を果たしていくものなので、あっさりと倒産や廃業をしてよいものではないのです。
(なぜ倒産してはいけないのか、については、いずれ気が向いたらエントリしてみたいと思います)
会社が生き残る可能性が高まるなら、今回のZ社による買収をありがたいものとして考える必要があります。
会社が生き残るなら、自分も生き残れるのだから。
しかしながら、Bプロの皆さんは言いようもないほどにがっかりするのです。
今風にカタカナをつかうと、モチベーションが維持できないのです。
別にやりたい仕事でなくても、嫌悪するほどのものでないかぎり、仕事は(人間もそうかもしれません)多少続ければそれなりの愛着が湧くものだと思います。
また、何らかの意義を感じ取れれば、よりいっそう誠実に仕事に打ち込もうとするのではないでしょうか。
お金だけのために仕事をしているのであれば、今回のケースでがっかりすることは絶対にないはずです。
仕事がなくなったので首になるという可能性は出てきますが・・・ただ、私の考える会社のあるべき姿としては、このようなケースで人の首切りは絶対にやってはならないことだし(上記の会社が倒産してはいけない理由に通じます、人を養わなければ企業ではないからです)、次の仕事は会社が見つけてくれるとして、安心していればいいはずなのです。
結局、人はお金のために仕事をしているかといえば、案外そうでもない、と言えるのではないでしょうか。
このテーマは以前からいつか纏めてみたいと思っていたものなので、シリーズ化していきたいと思っています。
まずはイントロダクションということで。
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