2010/11/26

test from iPad

iPadからの更新をテスト中。
旅行にはiPadを持っていくだけでいいかもしんない。

あとは写真データの扱いをどうするかだなぁ。。。

2010/11/13

無駄を省いたその果てに

これもTwitter発で恐縮ですが、数日前の深夜に思いついたことを基点にしていろいろ考えました、その軌跡を残しておきます。


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ちょっと短絡的ですが、いわゆる「中抜き」が進んでいくとすると、これまでその「中」で働いていた人たちはどうなってしまうのだろう?
こんな疑問がふとわいてきました。 
インターネットのおかげでいろんなものの作り手と消費者の距離が縮まってきつつあるなかですので、検討してみたいと思います。


例えば、若干の正確性を欠いていることをご容赦願いつつ、

◯ 小説家→出版社・印刷会社・書店→消費者

◯ ミュージシャン→レーベル・音楽出版販売会社・CDプレス工場・物流倉庫→消費者

◯ 農家→農協・スーパーマーケット→消費者

◯ ニュースソース→マスコミ→消費者

etc…

効率が良くなっていくということは、文字通りのことであります。
これまで最初の生産者と最終消費者の中間をつないでいた仕事について、量的な重要性は相対的に減少していきます。

当然かもしれないですが、効率化を進めることは大事だと思います。
けど、これらの「中」で働いている人の数はきっと膨大で、そのまま皆さん失業というわけにもいきません。
そういう産業に就いてしまったが運の尽き、先見性のなさ、自助努力で何とかしてね、という切り捨ても理屈上はあるでしょうが、しかしそれではこれまで物流等を担って経済発展に対して多大な寄与をしてきたこと、その貢献とバランスしません。
相対的な重要性は減少しようとも、細かい是非はさておいても、それぞれ必要な仕事であると考えますので、冷たく切り捨てるのはやはりおかしいと思います。




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しかし。

個人的に、会社組織が倒産する場面に内側から立ち会った経験がある者として、会社というものは簡単に潰れてはいけない社会の公器だと思っています。



もうそれは、結構大変なことなんです。
変革だとか変化への対応だとか格好いいことを普段は口にしても、それらは会社が明日も存在している前提、自分や家族が健康に存在していることが前提なんだな、ということがよくわかりました。

なので、私はリストラ等の倒産回避行動はやむを得ないと今は思っています。
(当時は潰れる直前まで戦え、このへっぽこ経営陣、自主廃業はないだろ、などと思っていましたが…)
リストラに至る前に何とかする責任がもちろん経営陣にはあるわけですが、それはまた別の話として。


雇われるほうだってですね、実はいろいろな自由を捨てて会社に雇用されてるのです。
伝統的には副業禁止、会社の業務に専念する義務があって、その見返りとして会社は終身雇用、年功序列による処遇をしてきました。サラリーマン側の流動性は完全に犠牲にしてきていたわけです。
だから、いったん雇ったのだから、あっさり潰れるな、傾くな、という思いは強いです。だったら最初から副業OKにしとけ、9時5時の拘束をもうちょっと緩和しろ、などなど。

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そういうスタンスであると言ってしまった以上、とはいえうまい方策はまったく見当もつかないですが、倒産回避のリストラという流れの中で期せずして会社から放出されてしまった人たちもそれなりに生きて行けるようなうまい方法がないものかどうか、いつも考えてしまいます。
リストラでなくても、会社が嫌になったとかそういうネガティブな動機でもいいと思います。
それでも生きて行かなきゃならないし、何かできることがあるはずで、そういう人たちも活発に商売できるようになれば、社会全体の経済への影響も大きいのではないかと思います。
リストラした会社は効率が上がって、その恩恵は顧客に対して価格の低下(あるいはサービスの充実)という形で還元され、浮いたお金が被リストラの方達の新ビジネスに流れる…。悪くない形だと思います。


こういう経緯なので、個人事業主・フリーランサーの方や中小企業の経営者の方の応援を全力でしたいという気持ちがあります。
僕ら個人個人がそのレベルで食っていけるようになること。その方法を提示できるかどうか。
ここにこだわりたい気持ちがあります。

尖閣ビデオ流出問題について

2010年11月13日の深夜に、尖閣問題の一連について自分なりに考えをまとめてみました。
twitterに投稿しながらやったので、主にはそのtweet(だいたい1時半から2時過ぎの間)のまとめとなりますことを先にお断りしておきます。


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ことのあらましについて最初に記載すべきなんでしょうが、なんだか今更の感もあるのでそこは省略します。

本件の論点は大きく4つに分けていいと思います。

1.逮捕した船長の●其雄氏(41)(●は擔」のつくりの部分)を処分保留で釈放したこと。
2.当該ビデオを政府は非公開とするものと決定したこと
3.ビデオを流出したことが守秘義務違反となるかどうか
4.ビデオが公開されたことで何が起きていたかが国民の知るところとなったことの意義 

さらに、派生論点として「公務員が正義を守らなければならない存在だとすれば、その正義とは何か。形式優先か、実質優先か、実質優先ならそれはどのようなガイダンス(というかなんと言うか)で判断すべきか。」

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さて、1.と2.については、大前研一氏のおよそ1ヶ月前のコラムを読むと、政府としての対応がもうダメダメだったらしいということが分かります。外交と言えば響きはいいけど、結局中国との関係をどうするかってことに一本芯が通りきってなかった点が非常にまずかった。

戦略無き外交はクラスの仲良しごっこよりも性質が悪い。
大前氏の言うところの「二枚舌」もうまく使えてない。
この1と2は、私の中では特に議論はないと考えているところです。


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3については、犯人探しをしないでくれとか逮捕しないでくれとか嘆願の電話等があったようですが、形式的には重要情報を社外(社?)に持ち出している点から鑑みて、感心できないです。
職務上、公務員だからどうというのではなくて、普通に、社外秘扱いのものをネットにアップしたらまずい。これは倫理的な話であり、コンプライアンス問題です。
自宅でなくてネットカフェに持ち込んでアップロードしていたらしいので、疚しいと思う気持ちが本人にも多
少はあったということでしょう。
本当に問題ないと言えるのであれば自宅の環境からアップロードできたはずです。
(自宅にネットに接続されたPCがなかったのかもしれないですが・・・)
本人も100%胸を張ってできる事ではなかったと理解していたのだとすれば、やはりこれはまずいでしょう。

ただし、罪刑法定主義的な視点から考察すると、何が「秘密」であり、何が「漏洩」かという整理は難しいかもしれない。

ちょっと現実的でない仮定をしながら考えますと・・・。
この件は、尖閣諸島という日本の領域内で起きた厳然たる事故(事件)という事実を、場所柄とおりすがりの人が撮影ってわけにもいかず、現場にいた保安官がその様子を撮影していました、ということかと思います。

(この仮定はあまり意味をなさないかもですが)これが仮に都内の路上で中国人が運転する車がパトカーにぶつけて逃げてところをとおりすがりの一般人が携帯で動画撮影したものがネットにアップされても漏洩でも秘密でもない。
海上保安官が職務上撮影したという点と、当該データを事後的に政府が非公開としたため、「秘密」とされたと整理でき、それを持ち出したから「漏洩」なのだと考えます。
そうでなければ、本件は本質的に公開することに何ら問題はないと考えられます。

すると、そもそも「公開しない」という判断自体が弱いために、この騒動となってしまったと考えられます。外交(一応)上の配慮と呼ばれるものがその根拠ではあるそうですが、それは本当に根拠たる何かなのでしょうか。
・・・ええと形式の話にもどして、いずれにせよ、本質的には秘密にする必要性のないものを、政府が秘密にすると決定し、それに公務員が従わなかったという点、これは大問題です。
結果が手段を正当化することはありません。

しかし、4を考えるに、この保安官を逮捕して刑事罰を負わせるということと、先の船長に対する処遇がバランスしていないことがこの流出をきっかけに明確化されています。この点が非常に面白い。
かの保安官は動画を流出させて自分を罰せられる立場におくことで、間接的に船長の処分について抗議している、なんて具合にも考えられます。


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ひとつの事実にふたつの見方(ポジティブ、ネガティブ)。
ひとつの動画を見てもどのように感じて解釈するかはひとそれぞれだから、あれをみてどっちがぶつかったと思うかというのを言い合っても水掛け論にしかならないでしょう。
科学的に分析してその結果解釈されるものがあればそれが真実なんだろうと思います。


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とはいえ、あの動画は衝撃的でした。
日中間にたくさんある事件のたったひとつだけど、これまで不審に思っていたことが形を持って突きつけられたというか、理解させられたというか。
この方がジャーナリストだったらまた別の評価になってたと思います。それだけの意義はありました。
これだけ大騒ぎになったのですから。

個人的に今回の件から考察したいのは、上で派生論点としておいた「公務員が守るべき正義とは」について。
ただ、サンデルの本は買ってあるけど未読なのです。お恥ずかしい。そろそろ読まなくては・・・。
何が正義となるのか。非常に難しい命題です。




確かに大前氏が指摘するとおり、民主党は尖閣問題の歴史を知らなかったのかもしれない。
でも、こうなってしまった以上、今は色々もめるにしても、将来に向けてこれを契機に国益にかなう方向へもっていくのが政治家の腕の見せ所だろうと思います。
これは、ポジティブに解釈して、自民党時代の二枚舌から脱却できたんだと思うべきではないでしょうか。

起こったこと、やってしまったことを今更悔いてもしょうがない。前に向かうしか我々にはないのですから。

2010/11/04

愛別離苦

140文字でまとめられそうになかったので久々にここを活用します。

先日、思わず書き留めておきたくなる絶妙な表現の数々のアスファルトのところにこだわったツイートをしましたが、本当はもうちょっと気になったところがありました。
これなんですが。。。












実は昨日、ある方のお通夜に参列してきました。
故人は、自分の彼女の弟さんのお嫁さんのお母様です。
(説明がクドイのは自分の不徳のいたすところ・・・義理の弟の義母、と言えれば少しは簡単だろうと思いましたが、書いてみるとそうでもないですね・・・)

故人とは7月に1度、その弟さんの結婚披露パーティでお会いしたきりでした。
そのパーティも、こうなることを見越してのパーティでした。
故人はそのときすでにガンに苛まれていました。

その後もしばらくはお元気そうにしていました。
その弟さん夫婦の引越が9月末頃にあったのですが、それを手伝いに行っていた彼女はそこでお母様にお会いしているそうです。
たったの一ヶ月前です。
彼女にとってはそれがお会いした最後の機会となりました。

10月はとある病院で抗ガン剤治療を行っていたそうですが、11月1日に入院先をその病院からホスピスへ転院するための移動をしました。
しかしその日、あるいは移動中に状況は急変したもようで、移動した後に急逝されたのだそうです。


ご主人の以下の言葉(要旨)が私に痛烈に響きました。
「もうちょっと早く、希望通りに静かな最期を過ごさせてあげたかった」
「あともう5年、3年、少しでも長く一緒に暮らしたかった」

このとき僕は、若干の場違いを感じつつも冒頭の「絶妙な表現」について考えていたことを思い出していました。

10年後か、20年後か、50年後からもどってきたんだよ今

これ、きっと若い人が書いたんじゃないかな、と思いました。
最後に「50年後から」を持ってくるスケール感が、もう若さ故としか思えないのです。

僕もまだまだ自分では若いと思ってますが、それでも僕ならこのように書きます。

10年後か、3年後か、1年後、そこからもどってきたんだよ今


瑣末な表現の違いかもしれません。
でも、最近の自分には、目の前の1年とか3年とかという短い時間が、愛しくて愛しくてたまらないのです。



以下、余談。

7月のパーティは箱根のホテルで行われました。
カメラも持って行っていました。
でもなぜか、故人の写真を撮って差し上げるということは、できませんでした。

言い訳はいろいろあります。一応、招かれた客であるのであまりカメラマン風に動くのもわざとらしい、とか、それほどの腕があるわけではない、とか、機材も一眼レフとはいえ入門機である、とか。。。

結局、なにかにびびっていただけでしょう。どれも理由になってない。

今思えば、そんな言い訳考えている暇があったらシャッター切っとけ、と思います。
今後はできるだけそうしていきたいと思います。
林家ぺーみたいでもいいじゃないか。後悔するよりはなんぼかマシだ。