先日、思わず書き留めておきたくなる絶妙な表現の数々のアスファルトのところにこだわったツイートをしましたが、本当はもうちょっと気になったところがありました。
これなんですが。。。

実は昨日、ある方のお通夜に参列してきました。
故人は、自分の彼女の弟さんのお嫁さんのお母様です。
(説明がクドイのは自分の不徳のいたすところ・・・義理の弟の義母、と言えれば少しは簡単だろうと思いましたが、書いてみるとそうでもないですね・・・)
故人とは7月に1度、その弟さんの結婚披露パーティでお会いしたきりでした。
そのパーティも、こうなることを見越してのパーティでした。
故人はそのときすでにガンに苛まれていました。
その後もしばらくはお元気そうにしていました。
その弟さん夫婦の引越が9月末頃にあったのですが、それを手伝いに行っていた彼女はそこでお母様にお会いしているそうです。
たったの一ヶ月前です。
彼女にとってはそれがお会いした最後の機会となりました。
10月はとある病院で抗ガン剤治療を行っていたそうですが、11月1日に入院先をその病院からホスピスへ転院するための移動をしました。
しかしその日、あるいは移動中に状況は急変したもようで、移動した後に急逝されたのだそうです。
ご主人の以下の言葉(要旨)が私に痛烈に響きました。
「もうちょっと早く、希望通りに静かな最期を過ごさせてあげたかった」
「あともう5年、3年、少しでも長く一緒に暮らしたかった」
このとき僕は、若干の場違いを感じつつも冒頭の「絶妙な表現」について考えていたことを思い出していました。
10年後か、20年後か、50年後からもどってきたんだよ今
これ、きっと若い人が書いたんじゃないかな、と思いました。
最後に「50年後から」を持ってくるスケール感が、もう若さ故としか思えないのです。
僕もまだまだ自分では若いと思ってますが、それでも僕ならこのように書きます。
10年後か、3年後か、1年後、そこからもどってきたんだよ今
瑣末な表現の違いかもしれません。
でも、最近の自分には、目の前の1年とか3年とかという短い時間が、愛しくて愛しくてたまらないのです。
以下、余談。
7月のパーティは箱根のホテルで行われました。
カメラも持って行っていました。
でもなぜか、故人の写真を撮って差し上げるということは、できませんでした。
言い訳はいろいろあります。一応、招かれた客であるのであまりカメラマン風に動くのもわざとらしい、とか、それほどの腕があるわけではない、とか、機材も一眼レフとはいえ入門機である、とか。。。
結局、なにかにびびっていただけでしょう。どれも理由になってない。
今思えば、そんな言い訳考えている暇があったらシャッター切っとけ、と思います。
今後はできるだけそうしていきたいと思います。
林家ぺーみたいでもいいじゃないか。後悔するよりはなんぼかマシだ。
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