日経平均 10月8日終値 9,203.32円
1ドルは100円を少しきるくらい
1ユーロは136円から137円くらい
1ポンドが170円台・・・この間まで250円くらいだったような気がするが・・・。
やれやれFXは完全に塩漬け状態。こうなれば根競べだ、損切なんてしないぞ。
運がよければまた上がる日もくるだろう。それまでに強制的に反対売買されなければだけど。
幸いなことに株は今やってないので、むしろいくつか仕込みたいくらいだけどそこに振り向ける資金なし。
投資信託にいたっては、もう評価額をチェックするのも億劫だ。
もう好きにしてくれ、と自棄な気分になる。
直接お金を扱うことはなくても、普通の人よりはそれに近い仕事をしている(つもり、というかハズ)。
そういう人間がこういうことを言うと不勉強丸出しにしかならないと思うけど、恥を忍んで書いてみると、お金は虚構かもしれないな、と思う。
お金は財貨・サービスと交換するための道具で、財貨・サービスそのものではない。
お札は紙であり、コインは金属でしかなく、そこに1000円とか100ドルとかの価値を与えているのは発行主体の信用ということになろうか。金本位制ではないし。
お金は手段であって、財貨サービスつまり「モノ」が本質だということにして話を進める。
人は、あるいは企業や社会は、お金を伝達手段として財貨サービスを入手し、それによりまた新たな財貨サービスを生み出して(付加価値創造でいいのかな)、また新たなお金を入手し、それを繰り返す。スタートは財貨サービスからかな。
よく不景気になると(最近もそうだけど)テレビの人がお金を人体の血液とか機械の潤滑油に例えて、うまくめぐらないと不健康なことになる旨の発言をしているのを耳にする。
金融が発達した今、一定の条件下において、お金はお金を生む(生みうる)。血液や潤滑油は自己増殖しないような気がするので、あの例えはやはりいまひとつポイントを捉えていないような気がする。子供だましというか。
ここから発想が飛躍して、言葉とかコミュニケーションも同様に虚構かもしれない、あるいは虚構として整理してもうまくいくかもしれない、と思う。
気持ちが本質と位置づけて、それは人の心あるいは頭の中にあるとして、それを誰かに伝える手段として言葉があるとすると、言葉は伝達手段でさえあればよく、それにより表される(表されようとする)本質は人の中にしかない、と整理できてしまうかもしれない。
まだまだ荒っぽい整理なので、自分で書いていてもなんだか少し危ないものを感じる。
人、モノ、金。なんとなく世の中を構成しているものがシンプルにまとめられそうな雰囲気がある。
残るはおそらく、今、目の前にしているもの。情報だろうか。
モノの本質を情報と整理することは可能かもしれない。温度とか質量とか成分とか。
人についても同様か。多少揺らいだりするのでコンピュータみたいに綺麗に整理できないかもだけど。
あるいは情報の本質というものがなにかあるんだろうか。
秋の夜長の妄想は、とりあえず忙しい時期にするもんじゃない、と思う。
(後日編集しなおすかもしれないことを明記しておきます)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿